駅弁ますのすし 次の100年へ

ますのすしの起源は平安時代とされ、勅使に持たせた献上品が始まりでした。
当時は、今のような形のものではなく、米を醗酵材料とした魚の身だけを食べる「なれずし」と呼ばれるものでした。それから、米を一緒に食べる「生なれ」へと変化し、源の前身である料亭[天人楼]でも名物として喜ばれました。
明治には早寿司の流行とともに今の鱒寿司の原形となり、明治41年に駅弁業に転身した源が、北陸本線・富山駅構内にてオリジナルのパッケージと現代に引き継がれる製法で『ますのすし』を販売し、富山のお土産として全国に広まりました。
写真は昭和38年頃、富山駅での立売風景。後ろにはディーゼル特急『白鳥』が見えます。